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執筆者の写真Furuya Hirotoshi

欧米で行なわれるピアノ選定

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今回のコラムでは、欧米で行なわれるピアノ選定について追ってみましょう。 ハーバード・ビジネス・スクールに合格したことから、日本とアメリカを行き来する生活に加え、ヨーロッパとの強力な協力関係を作り上げたことで、常に世界を周る生活をするようになりました。昨年から今年にかけてアメリカを行き来したのは7回に及び、更には大西洋を渡りヨーロッパも頻繁に行き来するようになりました。その度に新たな人を紹介されると共に、紹介される人たちからも更に先方から”一緒に何々をしよう”というプレゼンテーションを受けるので、兎に角ものすごい量の人脈が形成されていきます。そして僕がどの地域に行っても必ず行うのが、ピアノの選定です。良いものがあれば、その場で話し合い購入してくることもしばしばです。 そんな欧米からピアノを輸入するにあたり、そのプロセスから文化の違いというものを感じることが多々あります。やはりピアノはヨーロッパで生まれ、1800年台までヨーロッパ本土で育まれました。そしてアメリカでクラシック黄金期(カーネギーホール完成以降の歴史)を迎えます。そんな彼らの奥深い文化的な側面というものを垣間見ることが多々あり、ピアノや音楽の扱いというものに対しての捉え方が、著しく違うことを感じることもまた事実です。 写真の通り、まず日本と大きく異なる点としては、ピアノ商を営む欧米の人たちの多くが、非常に多くの教養とバックグラウンドを持ち合わせてピアノに向かっています。彼の場合は、シカゴ大学で数学の博士号を修めており、世界有数の学位を持つインテリジェンスでありながら、大学でピアノも正式に学ぶなど、こうした幅の広い人物が、ピアノを一芸術品として扱っています。 勿論彼自身も、スタインウェイ本社が選びに選び、また黄金時代のスタインウェイ社を支えたピアノ技術者であるKen Esheteが調整を施した、スタインウェイピアノのB型を所有しています。加えてCDナンバー付き(スタインウェイ社が、アーティストのために製造した希少なグランドピアノ)のピアノも多く所有しており、スタインウェイを心から思う気持ちが伝わってきます。また、積極的に大学のOB会などに顔を出すと共に、大学で教鞭を執り、不動産を軸に置いた投資家でもあります。こうしたアメリカならではの、最優秀な人物たちがピアノ業界を支えていることは非常に重要な一面であり、より精錬された思想とセンスが持ち込まれていることは間違いありません。

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欧米のハイソサエティたちの間では、会員制のピアノショールムというものが多く存在しています。私の場合は、ハーバード大学のOB会でこのショールームを紹介され、ビリー・ジョエルが実際に愛したというピアノを購入することが出来ました。 加えて音に関しても、日本とは全く異なる音色でピアノが構成されています。日本に到着後に音色が変化することは、気候のせいではありませんし、移動によるピアノの疲労でもありません。私たちがこれまでに、のべ何百回と輸送したスタインウェイは、得意な形で音の変化が認められたことはありません。もっともスタインウェイ本社の所在する、ニューヨークのロングアイランド周辺は、イースト・リバーに近いこともあり、非常に多湿であるとともに、ワシントンなどもまた異なる性質ではありますが、カラッとした気候というものではありません。そして、先程述べたKenが調整したピアノを、精密機械が運べるレベルでパッキングしてDHLで空輸すれば、調律の狂いも発生しないほどの精度で受け取ることが出来、正に空気感までもが欧米の音そのままです。 勿論この状態を維持、更には良い形で発展させることが出来るのであれば、スタインウェイピアノとしての輝きと艶は失われるどころか、そこから更に素晴らしい音色を放つピアノへと昇華することも出来ます。 では何故日本に来るとピアノの音色が変わるのかと言えば、ピアノに触れる日本人のセンスが欧米とは大きく異なり、手法は真似ているかもしれませんが、真髄となる音色の構築においての感性やセンスは、全く届いていないということに結論付けられると考えています。これは洋楽のCDと、日本のCDに例えると分かりやすいかもしれません。誰もがその違いに気付いていますが、中々日本のCDが欧米の楽曲に届くことはありません。

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文化の重みというものに置いて、日本はまだまだ浅い状況です。歴史はある国かもしれませんが、文化形成は明治以降始まったと仮定しても、まだ100年前後です。 特に日本人の苦手とする部分としては、感性を揺り動かし、より精錬された思想の構築、並びに独創性というものに対しては、国民性としての苦手意識があるのは間違いないでしょう。そして、音という分野においては、こと苦手と感じることが多く、こうした世界を渡り歩くピアノ選定や、Kenなどから享受する教えなどを考えると、恐らくは何年日本の音楽文化が遅れているということではなく、そもそもの構築方法そのものが異なるのではないかと思い始めています。ですので、このまま行けば、いつか感性が追い付くという類のものではなく、構築する力のベクトルを、更に選定するという次元から考え始める必要を感じます。 ピアノ選定1つとっても、様々な学びがあり、様々な尺度からの見解というものが生まれます。バークリー音大で学んだ身からすると、音へのアクセスというものについても、日本の教育機関とは大きく乖離している部分を感じざるを得ません。音楽や音の仕事をされている方でも、 『音がわからない、興味がない』 というケースを多々見ることがあり、この背景には”音を意識して聴く”そして何よりも、”音を愛する”という根本的な基からして、考え直す必要があるのかもしれないと感じています。加えて、音楽に入ってくる人材が、更に優秀なものとなるよう魅力的な音楽の世界を作り上げることも大切だと感じています。

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