ダイナミックレンジを重視するために、音圧を上げないという議論はよく行われることです。しかし、音圧=ダイナミックレンジの欠如、或いはリミッターを効かせての音楽制作というものが全て悪なのか否か?経験から少し書いてみたくなりました。
上の写真は、アメリカで制作された音源をマスタリングした折のファイル画像です。上段がミキシングのみ、下段がマスタリング後のファイルとなります。もともとミキシングで迫力ある音源を制作してきているので、それなりに音楽自体に力というものはありましたし、ミキシング後のファイルでもそれを思わせるところのある、リミッターがしっかりと効いているのが分かります。先の冒頭で述べた議論ように、この楽曲もダイナミックレンジというものはあまりなく、楽曲の方向性として自然と音圧が上がってしまうような製作の仕方をしています。その上で、リミッターを用い暴れる楽音を抑えているという認識のほうが良いかと思います。
ここで一点気付いていただきたのが、音楽を制作する上で自然と音圧が上がるような作り込みをしているのか?或いは、音圧重視で楽音も何も考えることなく、兎に角音圧を求めるような制作をしているのか否かという点です。リミッターの用い方も、あくまで全体の楽音を考えた折に、最終的な形で暴れる楽器を抑える用い方なのか?或いは音圧が出ないが故に、強引に音量を上げていくための道具として用いるのかで、出来上がる音源の質というものは全く違ったものになります。特にハードギアのリミッターか、或いは簡易的に用いることのできるプラグインかでも明らかにその音色というものは異なります。
そして上記写真のマスタリング時に受け取った音源は、上質な作り込みは勿論のこと、ふんだんにハードギアを用られたがゆえに、根本的な楽音としての熱エネルギーが全く異なるものでした。そして、ファイルを上下見比べていただきたいところとして、当方で行っているマスタリング自体は音圧を狙ったものではなく、ミキシングでは表現しきれない微細な楽器の存在というものと、美しく表現されている裏メロなどの扱いを楽曲に埋もれさせず、しっかりと曲の中で溶け合うように作り上げることを主軸とした考えを用いています。そして、現代のオーディオ環境に沿うよう、上下の周波数帯を美しく強調することで、楽曲としての迫力も確保しています。
上質な音圧のあるミキシングから、音圧ではなく楽曲が芸術性を持って表現されるマスタリングを行った場合、リミッターで消えたかのように見えるダイナミックレンジは、写真の上下ファイルのように再度生み出されます。潰したものを再度エクステンションするという行為は、そもそもが不可能と考えられますし、何とも不思議に思えるかもしれませんが、紛れもない事実としてファイルの画像がそれを物語っています。これも狙ってこうしたファイルを作り上げるのではなく、楽曲の芸術性を重視して行った最終地点として、このような結果をもたらすことも可能になります。その上、ミキシング時に表現された音圧はしっかりと確保され、更にはマスタリングならではの作り込み故の迫力も得ることが出来ます。
昨今の機材の進化と、マスタリングに求められる最先端の要求とは、もはやこれまでの常識を遥かに超越しています。実際こんなありえないようなことにも挑戦する必要があり、またそれを可能とする機材をメーカーが開発してきています。これからの楽曲制作は、常識の枠を大きくはみ出した手法を用いるエンジニアが生き残る世界になるでしょう。それこそが才能であり、能力として評価される日が近々訪れることは間違いないでしょう。
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